南アフリカ共和国の欧州系言語:アフリカーンス

こんにちは、HIROです。

今回は南アフリカ共和国の欧州系言語で英語と同じくらい欧州系南アフリカ人に使われている、オランダ語から派生したアフリカーンスを紹介します。

まず、現在の南アフリカ共和国のケープタウンに1652年、”世界最初の株式会社”と言われる、オランダ東インド会社(the Dutch East India Company)がオランダ本国とオランダ領東インド(the Dutch East Indies、現在のインドネシア)間の航海の補給基地を建設し、それが後にオランダ領ケープ植民地になりオランダ人の入植が始まりました。

初期のオランダ人入植者とケープタウン周辺に多かったコイコイ人(Khoikhoi)とサン人(San)の他、奴隷として周辺アフリカ地域や遠くは現在のインドネシアから連れてこられた奴隷とコミュニケーションを取るための手段としてピジン・クレオール化して簡素化したオランダ語からケープ・ダッチ(Cape Dutch)が派生し、それが19世紀にアフリカーンスになりました。

https://theconversation.com/more-than-an-oppressors-language-reclaiming-the-hidden-history-of-afrikaans-71838

ピジン・クレオール化については、こちらのサイトを参考にしました。

www.nihongo-appliedlinguistics.net

余談ですが、アフリカーンスの他にもハワイで”ピジン”と呼ばれている、ハワイ・クレオール英語やカリブ海やインド洋の島々でもクレオール化した欧州系の言葉が使われています。

オランダ領ケープ植民地の初期から周辺海域を通行していたポルトガル人との接触、17世紀の終わりから18世紀の初めにかけて、フランスで迫害されていたキリスト教プロテスタントのカルヴァン派(ユグノー、Huguenots)の一団が同じカルヴァン派のオランダ改革派教会(Dutch Reformed Church)教徒が多いオランダ領ケープ植民地に入植したこともアフリカーンスの語彙などに影響を与えました。

現在でも、特にアフリカーナー(伝統的にアフリカーンスを話す欧州系南ア人)の苗字や名前にフランス系の影響が見られます。

ケープタウン周辺はワインの生産が盛んですが、ぶどう栽培やワイン醸造技術もユグノーがもたらしました。

その他には、インドネシア(マレー、Malay)系言語やコイコイ(Khoikhoi)系言語起源の語彙も多く含まれています。

インドネシア系語彙の例:アフリカーンスのpiesang(バナナ)はインドネシア語では、pisangです。

https://theculturetrip.com/africa/south-africa/articles/the-global-origins-of-afrikaans/

1814年からイギリスがケープ植民地を支配したことによって、アフリカーンスは英語の影響も強く受けるようになりました。

最近の影響では、スマートフォンはアフリカーンスでは”smart phone”と言い、英語をそのまま使っています。

イギリス支配が始まってから、南アフリカ共和国は伝統的にイギリス系の経済的な存在感が大きかったので、ビジネスの言葉としては英語の使用が多く、アパルトヘイト廃止後は英語、アフリカーンスの他、9つのアフリカ系言語(Zulu、Xhosa、Venda、Tswana、Tsonga、Swati、Sotho、Pedi、Ndebele)が南アフリカ共和国の公用語になりましたが、英語が各民族の共通語の役割を果たしています。

https://theculturetrip.com/africa/south-africa/articles/the-global-origins-of-afrikaans/

オランダ語とは別の言語扱いされているアフリカーンスですが、今でも単語の9割はオランダ語起源とのことで、オランダ語話者にとって単語や文法の違いがあっても、ある程度は理解できるそうです。特に文書など割とフォーマルな言葉は共通点がより多いので理解しやすいそうです。

https://www.daytranslations.com/blog/afrikaans-and-dutch/

実際に以前、オランダ人宅にホームステイしていた時、ホストマザーと観ていた南アフリカ共和国に関するテレビのドキュメンタリー番組内でアフリカーナーがアフリカーンスを話している場面があり、ホストマザーは理解できると言っていました。

逆のケースでアフリカーンス話者にとっては、アフリカーンスの文法等が簡素化されている分、オランダ語が難しく感じるようです。

アパルトヘイト時代に政治的に南アフリカ共和国を統治していたのは、アフリカーンスを話すアフリカーナーでしたので、アフリカーンスには未だにアパルトヘイトのイメージが付きまとっていますが、アフリカーナーも”虹の国”と言われる南アフリカ共和国の成立に関わった重要な民族集団の一つであり、アフリカで南アフリカ共和国があらゆる面でリーダー的な存在に成長する上で貢献をしてきたことに変わりはありません。

あの、ネルソン・マンデラ(Nelson Mandela)元南アフリカ共和国大統領はアフリカーンスを自ら学んだ理由をこのように言いました。

”If you speak to a man in a language he understands it goes to his head. If you speak to him in his language it goes to his heart.”

”もし、あなたがある人にその人が理解できる言語で話しかけるならば、あなたの言葉はその人の頭に届きます。もし、あなたがその人の母語で話しかけるならば、あなたの言葉はその人の心に届きます。”

https://www.mondly.com/blog/2017/11/27/7-reasons-to-learn-afrikaans/

今回もお読み頂きありがとうございました。

STUDY IN SOUTH AFRICA

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